本を読む日々の身辺雑記


by aokimugi

カテゴリ:小説・ノンフィクション( 14 )

まったり~

今日は母と一緒に日帰りで温泉に行って参りました。
平日の昼間に温泉なんて!
これ以上の贅沢はなかなかないですね~。(笑)

温泉入ってまったり寝て・・・。寝て・・・。寝て・・・。
ぐ~~~~。o(--)oZzzzz

まだなんか体がぽかぽかしてます。

・・・伊豆っていいところだなあ・・・。


ところで「図書館戦争」読みました!

う~ん。思わず一気読みしてしまうくらい面白かったです。
「日野図書館」とか「中小レポート」とか、司書資格を取ったことのある人間だったら誰もが聞いたことのある単語がこういう使われ方をするなんて!
いろいろあるんですが、平たくいうと言論の自由を守るために戦う図書館戦隊(笑)の話です。
銃を持って本(に込められた知る自由)を守る図書館職員・・・。か・かっこいい!!(←おい!!・・・っていうか本当にこんな世の中になったら、多分私は禁じられてる本を持ってる罪で投獄されていると思いますw)

ライトノベルのようなキャラクター造形とノリの軽さのおかげですごく読みやすいんですが、話の中に貫かれているメッセージは決して軽く扱ってよいものではないと思います。
一時的な世論に流されて、自由な言論の権利を侵害してしまう前例をつくったりあまつさえそれが法制化されてしまっても無関心でいていいのか?とか。
大人はもちろん、中高生くらいの子が読んだらどう思うのかな。感想聞いてみたいです。

個人的には、堂上教官がツボでした。普段めちゃくちゃ厳しくしといて根本的なところで郁に甘いところが、もう・・・!!w
続きの「図書館内乱」気になってしかたないので・・・多分明日本屋に走ることになると思いますw
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by aokimugi | 2006-10-20 22:19 | 小説・ノンフィクション

久々に・・・

久しぶり(といっても一週間ぶりくらい?)に岡崎の家に帰ってきました。
先週は友人や家族と過ごす時間が長かったので一日誰とも話さないのは久しぶりです。
じ、時間が長い・・・。
思わず隣家の犬のほえ声に「よしよし」などと言ってみたり。

あわわ・・・。

とりあえず、ここはもうすぐ引き上げてしばらく実家で暮す予定です。
気に入っていた部屋だったのでちょっと切ないです。
よっしゃ!!次はもっといい部屋探してやる~~!!

・・・その前に「いい」仕事探すのが先ですね。はい。

ところで最近は時間がた~っっぷりあるので(汗) 本をよく読みます。

『DIVE!!上、下』(角川文庫/森絵都)
高校生と中学生が飛び込みでオリンピックを目指す話です。
ぎりぎりの限界を超えた先にある、一瞬のためにすべてをかける。
その熱さがびしびし伝わってきました。
めちゃくちゃ面白かったです。
今まで興味なかったけど「飛び込み」を見てみたくなりました。
というか、君たちのおかげで元気出たよ~!!ありがとう!!って気持ちです(笑)
青春の熱さに触れて元気もらいたい人にお勧め。

『大統領最後の恋』(アンドレイ・クルコフ/新潮クレストブックス)
クルコフはウクライナのロシア語作家です。前作『ペンギンの憂鬱』が面白かったので今回も思わず手を伸ばしてしまいました。
この話はウクライナの大統領が主人公の話で・・・もちろんフィクションなんですが、もう笑うしかない秀逸なブラックユーモアに満ちた「嘘」のような話です。(何度お腹を抱えて笑ったことか!!特にじゃがいも事件とか!)
しかし、ユーモアの底にひたひたと満ちている透明な悲しみのような空気になんどもひやりとさせられました。自分から見えない位置にある真っ黒な穴に気づかないふりをしているような不安感をよんでいるとひしひしと感じます。

ウクライナといえば、半年くらい前に大統領の選挙戦のさなかにハンサムな野党候補の顔が突然人相が変わるくらい腫れあがった事件がありました。「毒をもられたのでは・・・」といろいろな憶測が飛び交っていましたが、あれ結局真相はどうだったんでしょう。

現実の方が小説のような国で書かれた、孤独な一人の男の人生の物語です。
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by aokimugi | 2006-09-18 23:59 | 小説・ノンフィクション

時間のこと

楽しみにしていた卒業旅行ですが、同行する友人がインフルエンザになってしまったため、延期することになってしまいました・・・。
2月中に行く予定ですが、まだ日程は未定です。

今日は学校で万葉集に関する小さな講演会があったのでそのお手伝いに行ってきました。
その後は教授に連れられて当然飲み会。(卒論を見ていただいた教授は飲み会大好きなのです。今年はいっぱい行ったなあ・・・。ちなみに私は飲むより食べる方が好きなんでいつもバクバク食べてます。w)
仲の良い教授方と連れ立って飲みに行くのに私ら学生も混ぜてもらっているという感じです。授業とかでは分からない先生方の素顔が見えて面白いです。でも、酒の肴に「上代の音韻変化」とか「万葉集●番歌の解釈」とかの話題でそれはそれは楽しそうに盛り上がっておられるので、おちおち不用意なことは言えません・・・。いや、話を聞いている分には面白いですけどねっ!!こっちに意見求めないで下さい~~~!!って感じです。(笑)
ちょっと緊張はしましたが楽しい時間と美味しい料理で幸せな夜でした。

ところで昨日の夜、恩田陸の『蒲公英草紙 常野物語』を読みました。
とてもとても大切なものをもらった気がします。
最後の方は、文字が見えないくらいぼろぼろ泣きながら読んでいました。
強く薦めてくれた友人に感謝です。
この話は恩田陸の「常野物語」と同じ世界の話ですが、特に続編という訳ではありません。「常野物語」を読んでいない人でも全く気にすることなく読める話です。ただ、この話を読んだらめちゃくちゃ気になって読んでしまうとは思いますが。(笑)

この話を読んだ後、なぜか最近見たばかりの能舞台を思い出しました。
とは言ってもお能の演目ではなく、能舞台のことです。そのときの能舞台では舞台の軒下がぐるりと細い注連縄(しめなわ)で囲われていました。私はそんなことをしているのを初めて見ました。そして、能の演技が始まる直前に橋掛かり(舞台の横に伸びている橋のこと。そこから演者が舞台に上がるのです)の垂れ幕の隙間から、チョンチョンと火打石を打ち合わせるのを見た時なんとも言えない衝撃を受けたのです。
このとき私が感じた衝撃を説明して理解してもらうのはとても難しいことかもしれません。が、出来る限りやってみようと思います。
その日のお能は、毎年行っている定期能の初回でした。だからそれらは新年の風習だったのだと思います。加えてその能舞台はよくある公共の音楽ホールなどよりも能楽師の「家」に属するようなちょっと私的な場なのです。でも、万人に対して神聖な「芸事」を行う、ある種公共の場でもあります。そのとき行われていた注連縄や、厄除けの火打石は、多分その能舞台が出来てからずっとずっと自然にそして厳粛に行われてきたことなのだと思います。祈りを込めて。
ただの新年の風習だと言ってしまえばそれまでのことなのですが、私はそうやってさりげなくでも大切に永い永い年月伝えられてきた何か、をその一瞬に見たような気がしたのでした。
蒲公英草紙を読んだ人には分かるかもしれないのですが、こういうものもあの人達の書見台と同じようなものなんじゃないかな~と、思うのです。気をつけてみていたら身の回りにたくさんあるのかもしれません。
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by aokimugi | 2006-01-28 02:48 | 小説・ノンフィクション

考える

卒論は無事提出できました。
今は反動で開放感いっぱいな気分で毎日ちょっとどきどきしながら過ごしています。やりたいこと、読みたい本はいっぱいあるし、目前に迫ったアンコールワット・タイ旅行の準備もせねばなりません。ふっふっふ・・・。
今日は京都の能楽堂までお能を見に行ってきました。演目は「屋島」と「誓願寺」。
目の前で展開される緊張感に満ちた動きの美と拍子やお囃子の音にひたりつつ、その背後で展開されている仮想の世界(舞が表現している戦の光景や、視線の先にある月光などのことです)をめいっぱい感じることのできた幸福な時間でした。

d0054997_3124097.jpgところで今、脳科学者の茂木健一郎さんが書いた『脳と仮想』という本を読んでいます。
現実のお能を演じる演者を見つつ仮想の世界に遊びながら頭の端っこで常にちらちらとこの本のことを考えていました。
感動すること、見ること、話すこと、想像すること、感じること、手に取って触ってみること・・・。
私達は様々な情報から「世界」を認識し、構築しています。しかし、確固としているように思える「現実」も、どうしようもなく湧き上がってくる「感情」も、みんな脳内の作用によるものです。
今までの科学では、数値化できる「現実」のみを検証可能な対象としてきました。どういった原理で曖昧でとらえどころのなく理屈で捉えきれない「感情」が生まれるのかは謎であり科学では説明の出来ない領域だったそうです。
でも、「感情」なしで本当に人という存在を考えることなんてできるはずがありません。
母が亡くなった時に、小林秀雄は蛍の群れ飛ぶ様を見て「おっかさんが帰ってきた」と思ったと書いているそうです。
現実に蛍になって母親が帰ってきたとは、本人も思っていないはずです。でもこう思う一瞬の心理は痛いほど理解でき、共感できるものです。私達の日常は現実と時にはそれ以上に切実な「仮想」によって成り立っています。
サンタクロースを信じるってどういうことなのか。小説の一節に胸を突かれること、音楽を聞いていて涙が浮かんでくること・・・感動するってどういうことなのか、そもそも「現実」とは?
なんとなく分かっているつもり、当然のものとして疑問すら持っていなかったことがらに平易な言葉で深く切り込んでいる本です。
最初は私のようなばりばりの文系人間には【人の感情を重要なものと捉えること】はわざわざことさらに言うまでもない自明の理なのに何を今更・・・。とちょっと思ってしまったんですが、彼が言いたいことが理解できてきたように思えたときに、「人」という存在の切実さに涙がでてきそうになりました。
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by aokimugi | 2006-01-23 03:24 | 小説・ノンフィクション

ここ数ヶ月の・・・

ここ数ヶ月の読了記を書かなくては・・・。とふと思い立った。
なにしろそろそろ年の瀬。年末である。
・・・が、それが理由ではなかったりする。実は。

今日はシンガポール短期留学生の交流会とやらでお能をやってくれないかと引っ張り出されて、4回生・卒論未完成・・・という身分にも関らず舞囃子を見せてきた。
先生が英語でお能の説明してるのを頑張って聞き取ってみたりもした。
その後の親睦パーティーにも顔を出し、カタコト英語と勢いで通じてるような、通じてないよーな会話をいっぱいしてきた。
トルコとインドとカンボジアとベトナムとタイでホームステイしつつ旅してきた人とアジア諸国の交通の恐ろしさを語り合って意気投合したりもした。(恐ろしいのって中国だけじゃないんだ・・・!と内心冷や汗でしたがw)
なんだか最近身の回りがどこもかしこも国際交流だらけな感じである。母とか友人とか友人とか・・・。
その密かなブーム(?)に私も巻き込まれたのかどうなのか、なんか今日はちょっと変な勢いが余ってるので、気になってた本の紹介もやっちゃおうかなって気になったのである。

『眼ある花々』(開高健・中公文庫)
なんかいきなり絶版本ですいません・・・。例によってバイト先の100均で手に入れた古本です。これはかなりおすすめ。「花」をテーマにしたエッセイ集のようなもので開高氏の文章が光ってます。開高氏の文章って美味しいのです。病み付きになりそう・・・。
ちょっと引用してみると・・・
“越前”という字を見るたびに私は暗い空、暗い海、暗い雑木林を思い出す。柔らかくて深い新雪に淡い陽が射し、雪片の燦めきとかげろうのたゆたいのなかで一点、二点、まさに灯のついたようにいきいきと、咲くというより閃くようであったスイセンを思い出すのである。それを眼にした瞬間に私の荒涼とした内部に何かかすかな音がしたようだったことも。

この本では開高氏が見つめ続けた世界の人々の、匂いがしてきそうな生の生活の描写と、鮮度の高い自然の描写がいっぺんにバランスよく味わえます。開高氏の文章未体験の方是非どうぞ。え~と・・・・・・・図書館で探してみてください。(笑)

『ペンギンの憂鬱』(アンドレイ・クルコフ著/沼野恭子 訳  新潮社クレスト・ブックス)
d0054997_21553559.jpgこれは半年以上もずっと気になっていた本だったのですが、とうとう購入してしまいました。表紙のペンギンの愛らしさに負けた・・・。wウクライナのロシア語作家の作品で作者は現在キエフに住んでいるそうです。内容もすっごくそれっぽい。主人公は売れない小説家で、閉鎖されつつある動物園から貰い受けた憂鬱症のペンギンのミーシャとともに暮らしています。そんなある日新聞の「追悼記事」を書く仕事が舞い込みます。それはなぜかまだ対象者が生きているのに死んだときを想定して書くという奇妙なもの。記事を書き続けるうち淡々と生活する主人公の周りで不可解な出来事が起こり始め・・・。
見えそうで先の見えない霧の中を手探りで進もうとするみたいな不安感が読んでいるうちにひしひしと高まってきます。とぼけた味わいの中に本当のことに気づかないふりをしないと渡っていけない不条理な世の中への風刺を鋭く込めた作品です。なんですが、思わずニヤリとさせられるユーモラスな語り口が絶妙です。オチも見事!いい買い物をしました。w

『ソラリスの陽のもとに』(スタニスワフ・レム著/飯田規和訳・ハヤカワ文庫SF)
異種生命体との接触を描いたSFの古典的名作。
ソラリスの海と呼ばれる、惑星の表面を覆う海のような一つの巨大な生命体が発見されてから百年と少し。人類はあらゆる方法で接触を試み、山のような理論を構築した末、「それ」はようやく知的生命体であると認識されるようになったが、未だにソラリスの「行動」や「意図」を説明できる者はいない・・・。
「知」とは何か?という哲学的な問いの深淵を見つめた作品。そして、ぎりぎりの状況で人間の愛情の本質に迫る話です。何年も経ってからまた読み返したいと思いました。その時の自分は果たしてこの作品をどう受け止めるのか、興味があります。

沼地のある森を抜けて』(梨木香歩・新潮社)
某友人に読了後勢いで「とにかく読んで!!」と真夜中(むしろ明け方)に迷惑なメールを送ってしまったくらい凄い話。(笑)ラスト近く「あの場面」までたどり着いたとき、背筋に震えが走りました。でも、あらすじを説明してもさっぱりその凄さが伝わらないやっかいな作品なんです・・・。梨木さんはやっぱり凄い作家さんだな、と思いました。

溺れるナイフ』①②(ジョージ朝倉・講談社)
少女マンガです。普段ほとんど買わないレーベルなのに題名に惹かれて買いました。題名そのままの危うい緊張感と鮮烈な画面の匂うような美しさに息を詰めて読んでしまいました。少年と少女の恋の話です。
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by aokimugi | 2005-12-12 22:51 | 小説・ノンフィクション

勾玉三部作

今日、青森の友人から本が届きました。
いつもおくることの方が多いので嬉しかったです。ありがと~!
これからゆっくり読ませてもらうね。

ところで今日、バイト先でいいものをもらってしまいました。ふっふっふ。
最近荻原規子さんの勾玉三部作が佐竹美保さんのイラストでノベルス化されました。
その第二作「白鳥異伝」のポスターをもらってしまったのです!!!
今日はあまりに暇だったので新書担当の人とちょっと話しをしていたところに、偶然非番のバイトの同僚がやってきて「薄紅天女」(勾玉三部作の三作目)を買っていったので、ついつい勾玉三部作の面白さについて熱を込めて語ってしまいました。
そうしたらその新書担当の人が
「それじゃ、ポスターとかあったら欲しい?」
と聞いてくれてあっさりもらってしまいました。・・・私があまりに喜んでいたので、第一作目のポスターまでかなり頑張って探してくれてました。いい人だ・・・。結局出てこなかったので捨てられた可能性が高いそうです。(泣)

勾玉三部作を初めて読んだのは中学三年生くらいだったかと思います。
古代の匂いのする濃密な物語を図書館から借りて一気に読んだ幸福な時間を覚えています。
と言っても今回ノベルスを手に入れるまでにあらすじをほとんど忘れてしまっていたので、まるで初めてのようにどきどきしながら読めました。
じ、自分の記憶力の無さに乾杯!・・・・・・。
それでも少しは成長していたのか、以前よりもずっと物語の背景や源流を理解しながら読むことができたと思います。
特に卒論の関係で最近ちらちらと古事記を読んでいたのが大きかったです。古事記を読んでから「空色勾玉」を読むと、おおっ!と思う箇所がいっぱいあります。
興味のある方は是非どうぞ。(笑)
もちろんファンタジーなのでこういう古典の知識がなくても十分楽しめます。でも、元ネタが分かると二倍美味しいと私は思います。

三部作の一作目はまだ神々が地上におわす神話の時代を、二作目はヤマトタケル伝説を下敷きにした人の世の伝説の時代を、三作目は坂上田村麻呂が帝に蝦夷討伐を命じられたという現実の歴史の時代を舞台としています。時代を超えて引き継がれる輝(カグ)と闇(クラ)の戦いの中で出会う少年と少女の恋の話です。
西洋のファンタジーでよくあるような光=善・闇=悪、の図式ではなく、輝(カグ)はイザナギノミコトひいてはその子孫である皇帝(スメラギ)を、闇(クラ)は死と地の女神であるイザナミノミコトひいては朝廷に仇なす勢力・・・地に近い場所で生きる人々として描かれています。
苛烈に輝き、穢れを認めない「輝」の力を、死を認めることで新たな生を育む「闇」の女神の力が
慰め中和していくのが大きな物語の流れとなっています。
争いをするどちらの側も「正義」としては描かれていません。
だからこそ、人の醜さも美しさもまざまざと知り、憎しみを知り、愛情を知り、身を切るような別れ、胸躍るような出会いを経て、自分と違うもの存在を受け入れ成長していく主人公達の姿が魅力的なのです。

ところで、実はこれの続きに当たる「風神秘抄」をまだ読んでいません。
まだ発売されてそんなに経っていないので無理だとは思いますが、早くノベルス化されないものだろうか・・・・。
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by aokimugi | 2005-11-22 03:34 | 小説・ノンフィクション

大阪

「細雪」を読み始めました。
あの、谷崎潤一郎の名作です。
これ、大阪にいるうちに絶対に読み終わらなくてはなりません。
なぜなら、大阪の話だから。(笑)
ず~~っと、読もう、読もう、と思いつつ読んでなかったくせに、このくそ忙しい時期にやっと読み始めた理由はもちろん、もろもろからの逃避です。えっへん。
そう、逃避のはずだったのですが結果はちょっと違う感じです。美しい世界が私の心を癒してくれると期待してたのに、ひたすらのんびりペースで暮す美しき姉妹達に・・・・うっとりする前にいらいらしたりしてます・・・。
いったい何のために読んでいるんだ・・・。
と、文句をつけながらもなかなか楽しんで読んでます。
生々しささえ感じられる谷崎の文章からは、昭和初期の滅びつつある上方上流社会の残り火の美しさと重さ、自由で軽いそして戦争の影が色濃くなっていく新時代の空気が交じり合う中で生きていく当時の人々の姿が見えてきます。
まだまだ最初の方ですが、これからじんわりと読みすすめていくのが楽しみです。

というか・・・。今日は久々の師匠稽古だったのですが、毎度の事ながら結構ずたぼろでした。
動きの筋は一見出来てるように見えるけど細かいところがめちゃめちゃだと言われてしまいました・・・。

はあ・・・、あと一ヶ月で果たして曲は仕上がるのであろうか。
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by aokimugi | 2005-10-15 00:38 | 小説・ノンフィクション

鰻が食べたい・・・・・・・。

最近は怨念のようにこの文句を胸中でひとりつぶやいて日々を過ごしていた。
私は鰻が大好きである。この土日はスーパーに行くとどこもかしこも鰻がところ狭しと並んでいて買わずに通り過ぎるのが一苦労であった。
とはいっても実は鰻の肝の照り焼きだけ一パックついつい買ってしまったのであるが・・・。(肝も大好きなのです。しかも安い。)

その怨念で引き寄せたのか(笑)、たまたま読んでいた本に続けざまに鰻に関する記述が出てきた。あまりにタイムリーだったのでちょっとここに書いてみようと思った次第である。
 
一冊は森茉莉の『記憶の繪』(ちくま文庫)である。
鷗外の娘である森茉莉が、美しく小気味のいい文章で記憶の断片をつづったエッセイ集だ。
この中に出てくる父、鷗外の姿は娘ならではの視点から描かれていて面白い。
数学がちょっと苦手だったとか、国語の問題を聞きに行くと教えてもらいたいところの何ページも前に遡ってじれったくなるくらい丁寧に教えてくれたこと、饅頭を真っ白なご飯に載せて澄んだ煎茶をかけてさらさらと食べるのが好きだったこと、茉莉にドイツの子供の発音で「パパ」と呼ばせようとして失敗したこと、不忍池(皇居)の亀を外套に隠し持って帰ってきてしまった逸話など・・・。
生き生きとした人間、鷗外の姿が見えてくる。
森茉里というと耽美派のイメージがあるが、この本では彼女の瑞々しい感性と生涯持ち続けた子供のように素直でいたずら好きな部分が存分に発揮されている。いい香りの中国茶を味わいながらゆっくりと飲んで、ほっと一息つきたくなったときのような味わい深い随筆がいくつもいくつも連なっている本なのだ。
そんな随筆の中に、「犀星と鰻」という章があった。犀星とは無論、あの室生犀星のことだ。
森茉莉が犀星の家にお邪魔すると夕食によく鰻が出されたという。しかも犀星は冷えた鰻が大好きで熱々の焼きたての鰻の方が好きな茉莉がちょっと閉口していたというエピソードが書かれている。これを読んだとき、犀星も鰻が好きだったのか~、とちょっと親近感が沸いた私であった。(笑)
ちなみにこの本に出てくる食べ物の描写は秀逸である。というか、食欲を掻き立てられる。
中勘助の「銀の匙」も、谷崎潤一郎の「陰影礼賛」もそうであった。(この二冊は私が最高級に美しい日本語で書かれていると思う本だ。)私の文章の価値判断の基準が食べものの書き方にある・・・・というわけではない・・と思うのですが・・・どうなんだろう・・・。



で、もう一冊は『落語手帖』(江國滋・ちくま文庫)だ。
この本はまだ最初の方しか読んでいないので、読み終わってから感想を書こうと思っていたのだが、いい機会なので書いてしまいます。
この本が書かれた昭和30年代初頭(1960年代)は、明治生まれの落語家が元気に活躍し、戦後の落語の芸術的な水準がピークに達したときと言ってもいい時代だったそうだ。(解説より)
まだ、江戸の空気を肌で知っている人達が元気だった時代である。
江戸に作られた古典落語は現代でもよく演じられるものだが、そこで語られる江戸の文化や生活に根ざした言葉と現代人である聞き手の言語生活とに距離がありすぎて扱いが難しくなってしまっている現実がある。
しかし、この本では、そんな古典落語で語られる江戸の人々の姿を暖かいまなざしで見つめている。着物の描写の細部への拘りなんか、愛情たっぷりに噺家の口調を再現してして秀逸である。
冒頭の、 「火事息子」における親子像  の語り方は絶妙であった。噺家がその落語を演じる姿と、江戸時代の商人の頑固親父と親父のおしつけに我慢ならなくなって家出した息子の姿とを、二重写しで描写していた。もちろん江戸文化の解説もかゆいところに手が届くように織り交ぜながら、である。う~ん、すごい。
そんなこの本では、 食物描写考~葬式から差し向かいまで~の章で鰻が出てきた。
江戸時代、庶民にとって鰻とお刺身はご馳走の二大横綱であったという。なかなか手の出せない憧れの食べ物であったようだ。
「おとっつァん泣きゃァしねえやな、暑いから目から汗が出るンだ、ハハハハ・・・・・おめえ、鰻ァ食うことァあるか?」
「ううん、鰻なんて、そんなものァ食えるもんか、肝だってめったに食えねえや」

『子別れ』(円生)の文句だそうだ。
こう見ていると江戸も今も変わらんような気になってくる。はるかに手に入りやすくなってスーパーで安売りされてるとは言え、やっぱり鰻は今でもちょっとした高級品だ。

・・・・鰻食べたくなってきました・・・。
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by aokimugi | 2005-08-01 06:38 | 小説・ノンフィクション

今は昔・・・

最近、児童書の映画化が多い気がする。
ちょっと前に映画化された『飛ぶ教室』、最近映画化が決まった『ナルニア国物語』、そして今度は『チョコレート工場の秘密』まで・・・!

どれもこれも子供の頃わくわくしながら読んだ思い出がある。
読み終わった後、誰かに話さずにはいられなくて、洗濯物を取り込んだり、夕飯の準備で忙しい母の後をついて回ってはあらすじを話まくっていた。・・・今も同じ様なことをしてる気もするが・・・。(笑)

ナルニア国物語は、ものすごく好きな話だ。今でも思い浮かべるとわくわくしてしまう。
ある日タンスを開けるとそこにはしんしんと雪の降る雪原が広がり街頭がポツンと立っている・・・そこから4人兄弟の冒険が始まるのである。このシリーズは全7巻なのであるが、一冊で一つの話が完結するオムニバス形式になっており、しかもポーの一族のように巻数が時系列順になっていない。だから読んでいくにつれてだんだんパズルのピースが嵌るようにナルニア世界の歴史が流れとしてみえてくるのだ。これが当時の私には新鮮でめちゃめちゃ面白く夢中になって読んでいた。しかし、読んだのが中学くらいだったので、作品の背景を察する力や批判精神も立派に育っていた。そのせいかどうか、物語の終わり方だけはちょっと納得がいかなかった覚えがある。
永遠の夢の世界に生きる・・・。この終わり方には結構考えさせられた。十二国記のように主人公にとって物語の世界こそが厳しい「現実」となったわけではなかったからだ。
また、この作品の時間が止まったような「永遠」の感覚は今ではなんとなくキリスト教的な価値観の産物であるように思える。
仏教的な「永遠性」とは、宇宙の外から俯瞰した巨大な時間・・・みたいものではないか、と勝手に思っている。だから私の考える「永遠」の感覚とこの作品の「永遠」の感覚にはかなりはっきりとした違いがあり、ただでさえ納得のいかなかった終わり方をますます受け入れがたいものにしていたような気がする。
しかしこれは私にとって文化による概念の違いを感覚的にはっきりと感じ取った思い出深い作品でもある。「気に入らない」と感じてもそこから学ぶものはあるのだ。だから映画でラストが変えられてしまったらいやだな~、とちょっと思っている。
なにしろ人魚姫までハッピーエンドにしてしまったディズニーが映画化するそうだからこのラストも変えられてしまう可能性は高い。・・・というか、ライオンと魔女の部分だけ映画化されるなら全然そこまで心配する必要はないのだが。(笑)

というような個人的な感慨とは別に最近はバイト先でナルニア国物語が売れまくっている。映画化で読者層が広がるならそれはかなり嬉しいことでもある。一番悲しいのは良い物語が忘れられてしまうことだから・・。

『チョコレート工場の秘密』の映画化は、母から来たメールで知った。ちなみにこんな文面である。
【子供の頃あんたが読んだ話で、謎のチョコレート工場に5人の子供たちだけが抽選で当たって招待される話なかった?わたし聞いた覚えあるんだけど、それも映画になって今秋公開みたい。】
・・・良く覚えていたな、母よ・・・。という感じである。これを読んだのは多分小学校低学年かそこらではなかったか。う~ん・・・。私よっぽど夢中で話まくったんだろうな(笑)

主人公は貧乏な家の少年で家族みんなが食うや食わずやの生活をしている。チョコレートだって誕生日くらいしか買ってもらえない。しかし他の4人の子供はみんな金持ちで親がチョコレートを買いまくり金の力で当たりくじを手に入れるのだ。この、主人公の少年が果たしてどうやってチョコレートについている当たりくじを手に入れるのか、この過程がスリル満点なのである。
そして、チョコレート工場の中は・・・子供の夢が詰まってパンパンになったすばらしい世界なのである。だって・・・ホットチョコレートが川になって流れていたりするんですよ?私はほんとに夢に見た覚えがあります・・・。

もう一度読んでみたくなってきました。(笑)
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by aokimugi | 2005-06-20 04:13 | 小説・ノンフィクション

中南米

この場で書こうかどうか、ずっと迷っていた本がある。
それはあまりに重い内容の本であるからだ。また、現実の世界・私たちの生活と深く関っているため、ほとんど全く知識を持たない私が軽々しく感想を書くのが躊躇われたからでもある。
しかし、書かないと後ですごく後悔することになると思ったので書くことにした。

先日、私はバイト先の古本コーナーで一冊の本に目を留めた。
『私の名はリゴベルタ・メンチュウ  マヤ=キチェ族インディオ女性の記録』
(エリザベス・ブルゴス/高橋早代 訳 ・新潮社)
  【調べてみたのだが、もう、絶版になってしまっているようだ。】
代わりの関連リンク:リコベルタ・メンチュウ
私は以前、南米コロンビアの作家ガルシア・マルケスが書いた『百年の孤独』という本を読んだことがある。(過去何十年単位で世界的なベストセラーとなっている名作であるので、概要を知っておられる方も多いかもしれない。あらすじは・・・とても一言では説明できません・・・。)他の本では味わったことのないその強烈な読後感が忘れられず、それ以来〈南米〉は私の中でいつか対決しなければならない対象として密かに根を張っていた。また、大学の授業で以前グアテマラの先住民族の暮らしのビデオを見たことがある。祖先から受け継がれた知識を生活の中で子供たちに伝えていくその暮らしに惹きつけられた。それらの事柄が私の脳裏を走り、インディオの文化を知りたい、というような割と軽い気持ちでこの本を購入することにしたのである。
 
読み始めて私はこの本の内容に対する私の考えは完全な誤りであったことを知った。
この本はグアテマラの先住民たちに対し富裕層の白人が行ったすさまじい搾取の現実とアメリカが赤化を食い止めるためという名目で堂々たる資金・軍事援助をしていた軍事政権が先住民に対して行った激しい軍事弾圧の生の声の記録であった。もちろん、キチェ族の人々が祖先から大切に伝えてきた慣習や共同体のあり方なども詳しく語られている。大地への深い愛情と感謝のまなざし・・・永い永いときを語り伝えられてきた豊かな文化が生き生きと再現されている。しかしその慣習も臨月ぎりぎりまでコーヒーや綿花などの農場で働き、栄養失調や病でこどもがばたばたと死んでいく・・・そんな暮らしの現実の中で本当に役立つような教えや知恵と密接に関連する形で語られていた。彼らの言う白人の世界に属し、直接ではないだけで搾取の構造の中に組み込まれている私が簡単に軽い期待を持って「暮らしに生きるインディオの知恵」なんかを物見高く見ようとしていいものではないことを痛感した。先住民の方々の知恵を尊重する姿勢と物見高い好奇心は別のものであるはずだ。文化に興味を持つなら当然その人々の社会状況に目を向ける視点を待たなければならない。

この本は、キチェ族の女性であるメンチュウさんが闘争と混乱のなかで習い覚えたスペイン語で軍事政権の手を逃れてフランスに亡命していたときに、ある女性の社会学者の前で語り録音したテープから文章に起こされて出版されたものだ。
ちなみに録音されたのは1986年である。

ではメンチュウさんがなぜ亡命することになったのか簡単に説明してみようと思う。この本の概略を語ることにもなると思うので。

メンチュウさんは父と母の世代が開墾した山の近くの小さな土地でとうもろこしを育て古くからの習慣を大切に守ってきた共同体の人々と共に暮らしていた。しかし、主食であるとうもろこしは小さな土地の収穫だけでは足りず白人の経営する巨大なコーヒー農場や綿花の農場に出稼ぎに行かなくてはならない。暮らしは厳しく子供は3歳くらいから家事を手伝い、5・6歳から農場で働くのは当たり前である。農場で早朝から夕方まで働きに働いたあげく、もらえるのは本当にわずかな給金、という生活である。
農場がどんなところか少しでも分かるような彼女の体験の一部を話してみたい。彼女の弟はあろ農場で栄養失調で死んだ。どうすることもできず母は弟を農場の隅の土地に代金を支払い埋めたが、その弔いのため2日休んだという理由で農場を追い出されたのである。おまけに弟の薬代のつけだと言って1ヶ月間の家族の給金をもらえずに。(もちろんお金がないため薬を買ってあげることはできなかったというのに。)人間への扱いではない。
これはメンチュウさんの一家が特に貧しい暮らしをしていたから、という訳ではない。グアテマラはわずかな富裕層がとんでも無い大土地所有者で豊かな暮らしをしているが中間層はほとんどおらず人口の大多数を占める先住民族が搾取される社会構造をしている。メンチュウさん一家の暮らしはグアテマラ先住民の生活では一般的といえるものである。
そんな暮らしの中、メンチュウさんの父は共同体の代表者の役割を果たしていた。メンチュウさんが幼い頃から農場に出稼ぎに行く傍ら共同体全体のための書類申請をしによく都会へ出かけていたりしたのだが、後に自分たちで耕した土地を政府と結託した地主に騙し取られたとき、抗議の矢面に立つことになる。それは各地で似たような問題が発生し、先住民たちが抗議の声を上げ始めた時期であった。
合法的な手段で抗議しようとした人々に対し政府・地主たちが突きつけた答は徹底的な暴力であった。以来、父は「非合法活動家」として軍事政権のブラックリストに載り常に政府に命を狙われるようになる。各地の共同体と連携し活動する大きな組織の中心に関るようになって行った父のように、メンチュウさんと家族も暮らしそのものが搾取に抗議する反政府運動に飲み込まれていく現実の中で重要な役割を果たすようになる。そんな状況の中で弟がすさまじい拷問の末、何人かの若者と共に見せしめとして目の前で焼き殺された。そして、女性の組織化のために奔走していた母も強姦と拷問の末森に捨てられ殺された。その後、外国にこの現状を伝えようとスペイン大使館占拠事件に加わった父も大使館もろとも爆撃されて殺された。これらの事実は拷問の様子も含め詳細に語られている。こうして虐殺されたのはもちろんメンチュウさん一家だけではない。1980~82年頃ピークを迎えた弾圧によって数万人が殺され、440の村が焼き払われ、1000万人の国内避難民と数千人の難民を生み出した。無数の人々の声無き怨嗟の声が文面ににじみ出てくるようであった。その後身の安全が危うくなったメンチュウさんは人権活動家などの協力で亡命することになる。

メンチュウさんは1992年ノーベル平和賞を受賞した。現在も市民活動を続けている。

この本を読んで私はもっと世の中のことを知らなければいけない、と思った。アメリカにむやみに賛同し続ける日本の姿勢はこのような虐殺に加担することになるかもしれない危険性を持っている。
また、日本はグアテマラの主要貿易相手国でもある。搾取の現実に対し、知らないでいいとは思えない。もっともっと、よく社会の動きに目を凝らし理解する努力をしよう、と思いました。

他に参考としていくつかの資料を挙げておきます。もしよかったら読んでください。

911のテロの直後ブッシュ大統領が行った演説に対し、メンチュウさんが大統領に送った手紙

世界各地の先住民の声と文献

・『燃える中南米』 (伊藤千尋・岩波新書)
 グアテマラについては直接の記述はありませんが軍事政権の弾圧と民主化に立ち上がる人々の熱気に溢れた80年代の中南米各地の様子を概略として知るには良い本だと思います。
文章も分かりやすくて熱いです。(笑)

グアテマラ人権アップデート (2002年5月15日)
ちょっと前の情報ですが現在のグアテマラもまだ完全に民主的で平和な国にはなっていないことがわかります。
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by aokimugi | 2005-06-18 06:05 | 小説・ノンフィクション