本を読む日々の身辺雑記


by aokimugi

カテゴリ:お能・部活( 6 )

学園能

今日は「学園能」という催しがありました。
たびたびここでも触れていた能の発表会です。

部活を始めてから四年弱の総決算の舞台でした。
夏からずっとずっと練習していたことを能舞台の上で形に出来たかな、と思います。
もう、これから先能舞台に立つことは恐らくないと思います。
今回私が挑戦した「舞囃子」は、部活に入ってからずっと学んできた「お仕舞」の一ランク上のものです。
当然、今までとは求められる練習量も質も一回り大きかったので結構必死で練習しました。
忙しい四回生になってから、しかも他の部員が合宿などにもほとんど参加できないような状態で、幹部の仕事もこなしながら練習してきたのは我ながらよくやったな、と思います。(笑)


舞囃子は4回生になったら誰もがする、というものではなく、あくまで自分の意思で先生にやりたいということをお伝えして御稽古をしていただくものです。
私が入部してから舞囃子をやったことのある先輩は一人しか知りません。
でも、ずっとやってみたいとは密かに思い続けていました。
「学生時代に精一杯頑張った体験」を勉強以外で何かひとつ欲しかったのです。
やってよかったと思います。
練習したりない部分も確かにあったけれど、それでも頑張ったと胸を張って言えます。

今日は家族や友達、そして卒業した先輩方が忙しい時間の合間をぬってまた、遠くからわざわざ見にきてくれました。(私がしつこく誘ったせいでもありますが・・・。)
本当にありがとう~!!
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by aokimugi | 2005-11-24 00:49 | お能・部活

夏合宿

部活の夏合宿に行ってきました。
毎年夏休みに京都のお寺で2泊3日やっているのです。
ちなみに浴衣に袴。もちろん、冷房などというものはありません。
その状態でお仕舞のお稽古をするので、すっごく気持ちがいいです。
滝のように汗が吹き出る・・・まさに青春!って感じの体験ができます。(笑)
いつもこれで痩せたぜ!!と確信するんですが、減ったぶんだけちゃんと水分を補給できているらしく結局そんなに痩せません・・・・。健康なのっていいことですね。うん。

いつもはお寺に泊まるのですが、今年は参加人数の関係で私は京都近くの友人宅に泊まらせてもらって3日間通いで行きました。
夜は友人の部屋を占領してお稽古しまくってました。その節はほんとにお世話になりました。ありがとう!えびちゃん!!
合宿は私がお能を習っている先生が教えておられる京都の他の2つの大学の部活と合同で行うのでとてもにぎやかです。他大学の卒業した先輩とか、後輩とかと久々にお話できたんで嬉しかったなあ。普段なかなか会えない人達に合えるのも合宿の楽しみです。
おまけに今年は私が入学するずっ~と前に卒業された大先輩の方々が合宿に顔を出してくださって昔の部の様子なんかもいろいろ聞くことができました。今よりもずっと部の活動が活発な時期の方達なのでお話を聞いているとすごいなあ・・・っと思ってしまいます。お能のことにもめちゃくちゃ詳しいですし。すっごく勉強になりました。

私が今お稽古しているのは、舞囃子の「小督」(こごう)という曲です。今まではお仕舞と言ってお能のごく一部分だけを装束(しょうぞく)や、面(おもて)、お囃子(笛や太鼓)をつけずに舞うものだけをお稽古していたのです。
ところが舞囃子というのはお察しの通りお囃子がつきます。
今までずっと曲の歌詞に合わせて動きをお稽古していたのですが、今度は笛の音に合わせて舞う部分があるのです。しかもかなり長く・・・・・。
お稽古には囃子方なんてもちろん来ないので、笛の音は自分で謡いながら動きの練習をします。「オヒャ ラ~イ・ホ~・ウホ ウホ ウヒ~・・・・」
お稽古してる時だけじゃなくて、歩いても電車に乗っても、友人宅でも、これをずっとつぶやき続けながら3日間練習してました。泊まらせてもらった友人も口ずさみそうになっててちょっと面白かったです。・・・・というのも、この音なんかすっごく耳に残るのです。
二年前にも舞囃子をした先輩がいたのですが、そのときの「オヒャラ~イ・・・」という音をまだ覚えていたくらいです。
こんな感じで3日間朝から晩までかなり集中して特訓したんですが、まだまだきちんと覚えられていません。
うう。やばいなあ・・・。頑張らなければ・・・。
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by aokimugi | 2005-08-23 01:59 | お能・部活

黒塚

昨日のブログに秋遊さんからコメントをいただきました。いつもありがとうございます。
コメントの最後にちょっと気になる質問をいただきました。次のような質問です。

  ところで『黒塚』という別称は、ロウソクのみの暗がりの舞台模様から?
  それとも後半の黒髪の迫力からきているのですか?

下の文が秋遊さんからの質問への答です。ちょっと長くなってしまったので本文にて返答させていただきます。

私もお能初心者なので正確なことは知らないのですが、この曲では鬼の頭に「黒頭」(くろかしら:黒い髪の毛の頭)のみが使われるとは限らないんじゃないでしょうか。もしかしたら黒塚といったら黒頭というくらい慣習になってる可能性もありますが。勉強不足で申し訳ない・・・。

『黒塚』という別称はそもそもこの謡曲が大和物語などに採られているある和歌から作られたため出てきたものです。


『大和物語』  第五十八段

 おなじ兼盛、みちの國にて、閑院の三のみこ(清和天皇皇子貞元親王) の御むこにありける人、黒塚といふ所にすみけり、そのむすめどもにをこせたりける、

 みちのくの安達の原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか

 といひたりけり。
               ・・・以下略。

(訳:平兼盛《三十六歌仙の一人》が陸奥の国にいたとき、閑院の三の御子の婿が黒塚というところに住んでいた。その娘達に歌を送った。
陸奥の安達が原の黒塚に鬼が篭っていると聞くがそれは本当か
と言ったという。
               ・・・以下略) 

【大和物語・・・天暦(947~956)年間成立か。作者不詳。歌物語を集めたもの。ちなみに歌物語とは、伊勢物語のように歌が中心になっている物語のこと。】

ちなみにこの歌は拾遺和歌集(勅撰和歌集。長保三年/1001年頃成立)にも収録されていて(巻第九 雑下)、
詞書には「陸奥国名取の郡黒塚といふ所に重之(源重之:三十六歌仙)が妹あまたありと聞きて言ひ遣はしける    兼盛」とあります。

どちらも安達が原に実際に鬼がいた、という設定で詠まれた歌ではなく、女達をたわむれに鬼に譬えているだけです。もともと安達が原の黒塚に鬼がいる伝説があったからこの歌が詠まれたのか、この歌が詠まれたために安達が原に鬼がいることになったのか、今ではよく分からなくなっているんじゃないかと思います。(笑)

と、ちょっと長々と解説してしまいましたが、要は「安達が原」も「黒塚」も鬼が住む場所の地名なのです。
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by aokimugi | 2005-07-31 00:51 | お能・部活

安達ヶ原

夜能を見てきた。
お目当ては「安達ヶ原」。…この曲は観世流以外では「黒塚」と呼ばれているそうだ。何で黒塚って言ったり安達ヶ原って言ったりするのか不思議だったけど謎が解けました。(笑)
会場の灯りはロウソクのみである。お仕舞や狂言等の演目が終わると電灯が消され、ロウソクの儚く揺れる灯りだけになる。能楽堂の隅の暗がりが濃くなり舞台で動く人の影が長く不安定に揺れるようになった。曲の雰囲気たっぷりである。
ところで曲の荒筋はと言うと…

夕暮れ時、安達ヶ原を旅する山伏が一夜の宿を探していた。そこに粗末な小屋を見つけ主の女に宿を乞うが、女は人を泊まらせるような立派な家ではないので…と拒む。僧達は無理を言って頼みこんで泊めてもらう。
一夜の宿りを得て休息する山伏達の前で女は糸繰りを始める。辛く悲しい人生が永々と続く有り様を糸を繰りながら嘆くのである。ここが前半の見せ場だ。今夜の舞台では痩女と言う面を使っていたので凄惨な辛さがひたひたと感じられる場面になっていた。(痩女は精神的な苦しみで頬の肉が削げ落ちたような凄みのある面だ。)
能の謡に触れたことのある人でないとイメージしにくいかもしれないが、謡曲は物語であると同時に連想と高度な言葉遊びの塊でもある。この場面でも謡の中では「五条の辺りにて夕顔の宿を訪ね」(光源氏のこうがいの「糸」と重ねて引き出した言葉)とか「糸げの車」(六条御息所の車争いが下敷になっている)等が出てきてイメージの上ではなかなか貴族的で華やかなのだ。
(この文句は物語の中では女が歌う仕事歌の歌詞です。)私はまだまだ謡を聞き取れないことが多いけどこういうのを知ってたらもっと楽しめるんだろうな~。

で、いよいよ後半。女は寒いからと言って薪を取りに外へ出て行くが、寝屋だけは見ないでくれと山伏達に念を押していく。見るなと言われたら人は覗いてみたくなるもの。女が薪を取りに出て行くと若い能力(供のもの)が寝屋を覗いてしまう。中には肉片や人骨の山が…!驚いた能力は年配の山伏に告げ逃げ出してしまう。山伏が部屋を覗くと気付いた女が鬼となって追い掛けてくる。山伏は数珠を掲げ調伏しようとし、鬼はますます怒り狂う…。後半の見所は鬼と山伏の力が拮抗する掛合いだ。
ロウソク能を実際に見るまでは暗闇に浮かぶ般若面の迫力を想像していたが、実際の舞台では面以上に鬼女の艶やかな黒髪が異様な迫力を出していた。髪を振り乱して動く度に艶やかな濡れたような黒髪がバサリと般若面にかかり…ある種菅能的な凄みがあった。
最後、鬼は調伏され山に去っていく。


この鬼は別に最初から山伏を取って食おうとしていたわけではない。山伏の無聊を慰めるために糸繰りもするし、寒さを気遣って薪を取りにいく親切な女である。絶対に見られたくない秘密を見られたから怒り狂うのだ。裏切ったのは人間の方だ。鬼の怒りの激しさは人に見られたら生きていけない秘密を持つ苦しみと辛さの裏返しなのだろうと思う。鬼と人・・・考えはじめるとすごく深いテーマが内包されている曲であった。

いろいろと考えこまされたけれど、単純に見ていて楽しめる曲だと思います。
とにかくなかなか無い趣向で見事な舞台が見られたので今日は大満足です。面白かった~!!
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by aokimugi | 2005-07-30 00:44 | お能・部活

部活

今日は久々の師匠稽古でした。
春休みから先月いっぱいまで先生がアメリカに出張なさっていたためにずっと活動が休止に近い状態だったのです。

先生からはアメリカでの体験をいっぱいお話していただきました。
なにもかもスケールが大きい国だな、と改めて思いました。
先生は奥様と二人の娘さん(小学生のお子さんと赤ちゃん)と一緒に行かれたそうです。
お能のお道具などもあるため大型のトランク10個あまりにもなる大変な大荷物を抱えて、ハーバードや、その近郊の大学からトロントの大学まで回られた大変なスケジュールの出張だったそうです。
が、そのときの移動手段がなんとリムジンだったそうなのです・・・!

荷物が沢山あるからそれが入るような車をチャーターできないか、と先生が受け入れ先の方に相談なさったところ、先方が用意してきたのがリムジン、だったそうです。
日本ならワゴン車とかを用意するところではないかと思います。
先生は「荷物が座席を占領していなかったら優雅なくるまなんだろうね。」と笑っていらっしゃいましたが・・・。やっぱりちょっと乗ってみたい気がします。(笑)

ところで私が今お稽古してる曲は『玉蔓』という曲です。
そう、あの源氏物語の夕顔の娘、玉蔓の曲です。
自分の娘なのかもしれないのに、玉蔓の美しさに光君がよろめいてしまう話が有名です。
お能では、そのようなわが身を疎ましく、恨めしい、と思う玉蔓の姿が描かれています。
艶やかで優雅な曲なのですが、この曲なかなか動きが早く暇がないので大変です。
歩く時は滑るようになめらかに足幅を小さく、しかも急いでいるようにみえないようにゆったりとした動きで謡いに間に合うように「早く」動くことが要求されます。
・・・・先生、そんな無茶、言わんといてください・・・。と心の中でつぶやきつつも精進、精進、です。(笑)

この曲には難関がもう一つあります。
拍子返し、という拍子(ひょうし:一定のリズムで足踏みをするお能の動き)があって私が一回生のときから練習して慣れっこになっている六拍子(むつびょうし)のすぐ後に連続して七つ拍子がついているのです。
しかも謡いのリズムと合っていない拍子なので自分ひとりでやると出来ても先生の謡いが入ると途端に踏めなくなるやっかいな拍子なのです。
リズム勘のない私はお手上げ状態です。・・・が、頑張ります・・・。

久々に先生にお稽古していただいて、すっごく緊張しましたが、その緊張感が心地よかったです。私はやっぱりお能が好きなんだなあ・・・。と改めて思いました。
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by aokimugi | 2005-06-23 02:11 | お能・部活

薪能

1日、平安神宮で行われた薪能に行ってきた。
暮れていく大空の下、薪の明かりに暖かく照らされる舞台を
引き込まれるように見てきた。
潮騒のように高まっては引いていく謡とお囃子の声に包まれるように
ゆったりとそして時に激しい舞を見ていると
時の存在しない空間にいるようであった。

夢のようなひとときでした。

演目は「屋島」、「吉野静」、「蝸牛」(狂言)、「鞍馬天狗」である。
これ、すべて義経関連の話なのだ。(狂言は抜かして)
大河ドラマの影響なのかな~。

さて、それぞれどんな話なのかというと・・・

まず、「屋島」。
旅の僧が、屋島の浦に着き、塩焼きの翁に一夜の宿を乞う。
都人を懐かしんだ翁は僧を暖かく歓待し、乞われるままに
屋島の合戦の模様を語り出す。
まるで見てきたように語る翁に僧が不審に思うと
翁は自分は義経の霊であることを仄めかして消えてしまう。
そこに本当の塩焼きの翁が帰ってくる。僧はその翁にも
屋島の合戦の模様を聞き、翁は那須与一の扇の的中ての話などを見事に物語る。
その夜、僧が眠りに着くと、夢の中に義経の亡霊が現れる。
弓流しの逸話を語るうち、修羅道に落ちた苦しみに襲われ明け行く朝の光の中に消えていく。
後には風が吹き抜けるばかりなのであった・・。

本物の塩焼きの翁が舞い、語って見せた那須与一の的中ての演技が見事でした。
ひょうっ!
扇を弓に見立て矢を射ってみせ、矢が見事的の扇に当たり波間に落ちて浮きつ、沈みつしている光景が目の前に見えるかのようでした。

この場面を演じている辺りからもともと曇り気味であった空がどんどん暗くなり、風まで出てきて・・・屋島の合戦の雰囲気を盛り上げてくれて臨場感たっぷりでした。
雨が振りそうで不安もあったけど、たまには天気の怪しい屋外の能もよいものです。(笑)

ところでお能は演者すべてが面(おもて)をつけて演じられると思われがちのようであるが、そうではない。面とつけて出てくるのは、大抵は人外の者(亡霊、精霊、神様など)か女性である。
この曲の場合最初の翁(義経の化身)と義経以外は面をつけずに演じていた。

そのせいか、面をつけて舞う演者を見るとすごいインパクトがあるのである。
集中してみているとだんだん人ではない、何か別の存在を目の当たりにしているような気分になってくるのだ。この不思議な、幻を見ているような一瞬の感覚を味わうために私は何度もお能を見に行くのかもしれない。


次の演目は「吉野静」
頼朝に疎まれ、追手をかけられた義経は西国に逃れようとするが、
時化で船を難波に吹き戻されてしまう。
吉野に入って宗徒たちの保護を受けようとするがすでに頼朝の手が回り、義経は宗徒たちの裏切りにあい都に落ちていく。
静御前は義経をすこしでも逃がすため追手を自分の舞で引き止めようとする・・・。

この辺りから、だんだん日が暮れてきて薪に火も入り、幻想的な雰囲気が高まってきました。
激しい動きのある屋島とは違い、静の美しく、ゆったりとした動きの舞に魅せられました。

賤やしず しずの苧環くりかえし 昔を今になすよしもがな

義経を庇い、追手を引き止めるために舞いながらも
「昔を今に・・・」と謡う静の心境が心に沁みます。


次は狂言「蝸牛」
かたつむりが長寿の秘薬であると聞いた長者が太郎冠者にかたつむりを採ってくるように命じるが、太郎冠者はなんとかたつむりがどんなものであるか知らなかった。
そこで長者は「かたつむりとは、頭が黒く、時々角を出し、背中に貝を背負っており、藪におるものじゃ。」と教え、太郎冠者は藪にカタツムリを探しに行くが、ちょうど藪には法螺貝を背負い、黒い冠を被った山伏が昼寝をしていて・・・。

同行した友人たちといっしょに腹の底から笑いました。
面白かった~!


最後は「鞍馬天狗」
春爛漫の鞍馬山に僧と、平家の稚児、そして牛若丸一行が花見にやってきた。
そこにむさくるしい山伏が現れ、稚児たちは興ざめして帰ってしまう。
後に一人だけ残った牛若丸にその境遇を哀れんだ山伏が実は自分は大天狗であると明かし、
兵法の奥義を教えることを約束し、去っていく。
やがて、直垂に長刀姿の牛若の前に正体を現した大天狗が現れ、兵法の奥義を皆伝すると共に、平家追討のため将来の助力を約束し、梢に消えていく。

この曲、最初は心の中できゃ~!と言ってしまうくらい演者がかわいかったのです。
何事かというと、この曲に出てきた大勢の稚児たち、全員子方が演じていたのです。
色とりどりのお着物に袴姿の12歳くらいから、下は5~6歳くらいの10人あまりの子供たち・・・。
前を向いて座らなくてはならない場面で、まだ後ろを向いていて後見の方に注意されてるちっちゃい児とかもいてみていてこっちがはらはらしてしまいました。(笑)

また、後シテの大天狗はさすがの迫力でした。
じつはこの曲、私が以前に発表会でお仕舞を舞ったことのある曲なので、
お仕舞とお能の舞いの動きの違いなんかも個人的にすごく面白かったです。
暗い異界を背景に感じさせるようなのっそりとした大天狗の舞・・・。
先生はあのような動きをイメージしておられたのだなあ・・・。


本当に見に行ってよかったです。
明日も行けるといいんですが・・・。

 
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by aokimugi | 2005-06-03 00:17 | お能・部活